オカルト
2002年
10/5
小説の意味を調べる
すると小説で書くものは
(不特定多数の読者を対象に人間や社会を
日常の出来事に関する意見・主張)
となっている
それに基づいて書いていこうと思う
まず第一に人間について
ここでいう人間とは人と人との関係のことだろう
生きていく上で永遠の課題だと思うけれど
簡単な答えは無いだろう
好印象を与える人の接し方についての考察を
書いても解釈は人それぞれだろうし

なのでここでは単純に生物としての人間と捕らえて
人間と、他の生物との違いというものに対しての考察を綴ろう
二足歩行動物が人間だと昔誰かが言った
しかしそれはあいまいな答えでもある
図鑑でも見れば人の定義は載っているのだろう
ただ簡単に定義すれば
人の子は人だろうと
そういう考えに基づいてるのではないかと思う
まあそれはそうだが
人々は遺伝子操作で生物を作り変えることをした
作り変えられた生物の例はある
人は未来、他の生物を作り変え人間に近い生物にするのではないか
より人間に近い労働力へと変えるために
そして機械であるパソコンをも人の脳に近いものを作り上げようとするのかも
そしてそれらの更なる発展として
人が作った人に近い生物と
人間の共存、そこにある発展したロボット
それの更なる発展は
人に近い生物に組み込まれたロボット、簡単なアンドロイドを製造し
そしてそれらと人間は共存するのかも
そしてそれの未来は
アンドロイドの暴走による
人間の破滅か
むしろ機械に勝る人は存在するのかと
チェスでは機械が勝ったそうだ








9/5
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HPを更新
今こうして書いているのは限りなく現実逃避かもしれない
俺の未来にはあと4分の3の人生が待っている
俺は人生の4分の1の時間を費やした

このHPの更新には結構慣れてきて
まるでプラモデルでも組み立てるような感覚で
作れるようになってきた

最近罪と罰について考えてみた
この世の中には罪と罰があり
罪を犯すと罰を受けるわけで
罪を罪と決めたのは人間で
罰を受けさせるのも人間
つまり罪と罰と人間は密接していて
人は罰を受けたくないがため
罪を犯さない
いわゆる人間が人間を束縛している
ということになる
それは集団生活のため
自衛のためもあるかもしれない

そうすると罪ではないものも現れる
罪ではないつまりルールにしたがっていると
そのルールの最大の枠は法律であって
すべての人は
図化すると法という円の
中に入って生活している
そして法は増えている
人は人同士排他し合って
どんどん法を守る人を残そうという
考えが見える
本来人は何でも出来てよくて
そして今でも何でも出来るだろう
法がなければ
法が増えると人々は緊迫し
まさに緊迫した世界が出来るだろう
そして逆に法を減らすと
それなりに住みづらい生活が生まれる
俺は緊迫するのは嫌いだから
法をぎりぎりまで減らして欲しいと願うけれど
まあかなわぬだろう


小説と詩の違い

小説は自由に書いてある文で、詩は形式がある文だとは
いいきれなくて、その違いというのをはっきりと説明する
文章や言葉などを聞いたことが無いので 題材にしたけれど
誰かが書いているには詩は相手の心を考えて書くものだと
小説はそうではない そういう風な考え方もある
俺は多分この考え方で今後小説と詩という言葉を使い分けよう
と思う しかし、この疑問はまるで歌のジャンルわけのような問題
のような気もする まあ歌と文で両方とも芸術だし
はっきりとした基準も無いのかもしれない 

02/9
今日はトップのページの背景を変えた
俺は物を書く 俺は結局暇だから、何も残さないより
何かを残せばいいと思ってる 今まで日記を書いていたけれど
毎日書くのは難しそうで あまり自由を奪われるのも好きではないから
こうやって何かが残ればいいんだけれど デジタルのデータというのは
インターネットを通じて簡単にダウンロードできる
そして簡単にコピーできる
簡単に消すことも出来るけれど
ダウンロードしたデータは最低3年は持つだろう
著作権でコピーしたデータは配布は出来ないけれど
それでも一応残ればいい
だいぶ前テレビで被爆者が陶器を作りそれを地中に埋めて
何万年後に掘り出されることを願っているのを見たけれど
その陶器は掘り出されるかもしれない
そして、掘り出されないかもしれない
結果はわからないけれど…
ぜんぜん違う話で子孫を残したいと思う人の心境には
今後の未来にかけるという、そういう思いが少しでも
あると思う そんな感じで
そんなたいそうなものでもないけれど
俺は何かを残したいと思ったわけだ
深い意味はないね
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